メッセージ
NグループのHです。この間の関東のラウンドアップに本当に久しぶりに行った時に、長い仲間に「Sさんが夏に亡くなったの、知ってる?」って言われたんですよね。「えっ?」と思って…。子供が「親ってものはずっと生きているものだ」と思うみたいに、Sさんて「年は取るけどずっといる」と思っていたんですね。ちょっと、ショックで立ち直れないくらい、「え~!」っていう感じだったんですけど。そうやっていると、他の仲間から連絡があったりして、今日、来させて貰って有難いんですけど。
私、繋がって3ヶ月目に、初めてSさんにお会いしまして。それからスポンサーシップをとらせて頂いたんですけど。今思うと「よくやってくれたな」って。見も知らぬ相手に…。まあ、ラウンドアップで初めて知り合って、スポンサーシップをとるっていうのは、他の方たちもやってらっしゃるけど、やっぱり、地方から出てきて…本当に壊れきっているようなモノをよく「いいですよ」って言ってくれたなって。今になって思うと、すごく有難いなって思うんですね。
今日も仲間と一緒に来て、いろいろ話をしてきたんですけど…。私はどうも壊れすぎていたのか、AAの話やステップの話よりも、とにかくSさんというと、怒鳴り声と優しい…見た目は女らしいフレアスカートとチェーンヒールの…確かにそうだけど、思い出すと怒鳴り声で、電話が怒鳴り合いで、何度叩き切ったことか、ってね。スポンサーシップをとっていながら、切られたことが3回。泣いて縋って、「お願いだからまたやってください」って言ってたんですけど、10年程前に、色々問題を起こして、そこでちょっと、ご縁が無くなったんですけど。
でも、「Sさんはずっと東京で生きてる」と信じてましたね、私は。今回、このお話を聞いて、「偲ぶ会」があるってことで、Sさんのことをずっと考えていたんですけど。怒鳴り声と「あなたのことを怒るのは、私しかいないのよ!」ってね。「あなたのことを、だれが怒るというの?!」っていうのとか、甲高い声ですごい怒鳴ってきて…あの姿から想像できないほど怒鳴るんですよね。「誰があなたのことを考えてくれるの?」とか言われたのはよく覚えてるな、って思いだしたのと…口紅の色、まず一番最初に言われました。地方から東京に2ヶ月にいっぺんくらい来てたんですけど、「何そのジャラジャラした胸につけたもの、何その手につけたジャラジャラしたの、何なの?」…あの怒り方は本当にひどかったというか。
今になって思うと「変なこと教わったな」みたいな…。喫茶店に入ったときの座り方とか。今思えばバカみたいなんですけど、「いかに私が自分のことしか考えていなかったか」というか、結局、喫茶店での座り方なんかどうでもいいことであって、「一緒にいる人をもっと気遣いなさい」ってことだったと思うんですよね。自分のことしか考えていないから、さっさと自分で座る。自分より年上のSさんをおいてさっさと座っちゃう、注文する…。それは、お酒をやめて何年たっても変わらない。よく言われたのは、「あなたは6・7が駄目ね。いつまでたっても本当に子供で」もう、耳にタコですよね。
今日仲間の話を聞いて思い出したのは…やっぱり地方でやってて、女性がいなかったんですね。三ヶ月目のラウンドアップで、初めて女性のアル中、Sさんとか見たんですけど。やっぱり地方でやめていくことは非常に難しい部分もあって。はっきり言えば、ミーティングに「できれば出たくない」と思ってるところへ、仲間から「あんたがいると喋りにくくてしょうがないよ」って。「止めてくれない?」とまでははっきり言わないけど、なんとなく言われたときに、Sさんにすぐ言いつけるんですね。夜、電話して、「そう言われました」と。すると、「出ているあなたは間違っていません。言っている仲間が間違っているんだから、あなたは出続けてなさい」と言われましたよね。すごくそういう…周りから傷つくようなことを言われても「私は間違っていない。Sさん言ったんだもん」と思っているから、すごい強気で、なんと言われても私は休まない、というかやめないって。「本当にヤなんだよね」って、面と向かって言われた時代もけっこうあったんですけど…。女性がいないから当たり前なんだけど、喋りにくい。だけど、Sさんが言ったものっていうのは、すごい強かったですね。Sさんがよく言ったのは、「なんか言われて負けそうになったら、『東京のスポンサーがこう言ってる』って、私の名前を出しなさい」と。強気になれましたよね。「負けない」と思ったのは、やっぱり有難かったなと。
本当に、この人がいなければ今、私はいないというか…思いますよね。Mさんのことをよく言われて…。きっと私に期待をかけてくださったんだろう、と思うけど、二重の膝を三重に折り…「あなたは誰もいないところで自分でやっていくんだったら、ますます頭を下げていかなければいけません」とか。私はずいぶん言われたと思うんですね。あの姿は、特に、男性の仲間には想像もできないんじゃないか、と思うほどの怒鳴り声、着ているものとか、いつまでたっても、「なにそのカッコ、髪の色…」本当に嫌だったというか…東京に行こうというと、まず服装のチェックから、思ってた服と全然違う服を着なくちゃいけないというか。地方にいるときとか、休みの日とかマニキュアをするのを、必ず落とすとかね。ちょっとでも残っていると、すぐに感じるんですよね、あの人は。口で言わなくても、勘が良くて、気持ちが他にそれて浮ついた気持ちになると、すぐにばしばしとくるんですよね。
でも今から思えば、私はやめてから、本当に多くのものを習ってきたなっていうか…何もできない…壊れっぱなしで、アル中のまま結婚しちゃっていたので、段々、まともになってくると色んな事が分からないってことに気が付きはじめて。Sさんに「家計費って何ですか」って聞いたんですよね。私みたいなことを聞く人はいなかったと思うけど…食費は分かるけど、ほかのものが全然わからなくて、夫からお金を渡されても、どうしたらいいかわからなかった。Sさんが、「光熱費でしょ…」とか、そんなことばかり言ってたというか。もうちょっとちゃんとした話を聞いておくべきだったなと思うんですけど。私の中では怖くてね、すぐに怒鳴られるというか「なんなのあなた、何年ソーバーだけ重ねてるの、馬鹿じゃない」とかずいぶん言われたんですよね。
だけど、そうやって今思うと、誰もそんなことやってくれないですよね。親も言わなかったようなことを、よくあんなに事細かに言ってくれたな、というのが、今になってみると本当に有難かったなと思います。ありがとうございました。